伊勢電気鉄道四日市市内線

 近鉄名古屋線の前身、伊勢電気鉄道は明治44年(1911)に設立された伊勢鉄道が元である。伊勢鉄道は大正4年(1915)に一身田町〜白子間を開業させたあと津へ四日市へと路線を延伸。海山道〜四日市は大正11年(1922)に開業している。
 大正15年(1926)伊勢電気鉄道と改称、昭和元年(1926)には津新地〜四日市と神戸支線(現在の近鉄鈴鹿線)の電化を完成させている。そして昭和4年(1929)には桑名まで延伸している。
 伊勢鉄道は国鉄関西本線四日市駅と参宮線(現在は紀勢本線)津駅を結ぶことを目的とされていた。そのため、伊勢電気鉄道となって名古屋を目指すにあたり四日市では市街地を避けるためかなり強引なルートになっていた。


昭和7年発行四日市東部(右側)と昭和15年発行四日市西部(左側)使用
四日市




 旧線(地図には参宮急行電鉄伊勢線と書かれている)は海山道の駅を四日市駅方面へ少し直進してから左へカーブしているが、現在の近鉄名古屋線は駅を出てすぐに左へ曲がっている。
 旧線跡は空き地になっている。写真はA地点の跨線橋から海山道駅を撮ったものである。

海山道
海山道2

海山道駅
2015.5.31撮影




 旧線は天白川を渡り、国鉄関西本線を越えて鹿化川を渡る所で大きく右へカーブする。
 B地点の鹿化川橋梁の東側に旧線の橋台跡が残っている。雑草に覆われて判りづらいかもしれないが、近鉄の車両が隠れている築山のような物がかつての橋台である。

鹿化川 鹿化川2

鹿化川
2015.5.23撮影




 鹿化川を越えると旧線は大きく右に曲がり、関西本線に寄り添ってゆく。現在は四日市自動車学校、港中学校になっている。
 四日市駅の南約400mの所に阿瀬知川に架かる橋があるが、これは伊勢電気鉄道が通っていた橋で、現在「朝日橋」と呼ばれている(C地点)。橋桁をよく見ると「伊勢電気鉄道株式会社」の銘板がわかる。
 市道を北に行くとJRの四日市駅舎が見える。
四日市駅
四日市駅2

朝日橋

朝日橋2

朝日橋3
2015.5.23撮影

朝日橋4
2015.5。31撮影


 現在のJR四日市駅の駅舎。ここに伊勢電気鉄道の四日市駅があった。


四日市駅
2015.5.31撮影


 D地点の善光寺。長野県の有名な善光寺の子寺でこのお寺を回り込む様に旧線は通っていた。「善光寺カーブ」とか「ファイブチェン(1チェンは20m)カーブ」と呼ばれる、半径100mの急カーブであった。
 ちなみにナローゲージ(特殊狭軌)である北勢線の最小半径は楚原〜麻生田間にある半径80mである。伊勢電気鉄道が国鉄と同じ狭軌だったことを考えると如何に急カーブであったかが想像できる。


善光寺
2015.5.23撮影




 善光寺を西に曲がった廃線跡は四日市市役所の北側に出る(E地点)。写真左手のビルが四日市市役所。

諏訪駅
諏訪駅2

市役所
2017.9.2撮影


 生活道路となった廃線跡を更に西へ進むと国道1号線と交差する(F地点)。その先は1番街というアーケードになっている。
 アーケードを70m程進むと旧東海道との交差点がある。そのすぐ西がスーパーサンシであるがここが初代諏訪駅の跡だ。
 昭和18年(1943)三重鉄道の諏訪〜内部が電化する時に諏訪駅は西へ移転した。二代目諏訪駅の跡はパチンコホームランの辺り。


一番街

サンシ

ホームラン
2017.9.2撮影




 1番街のアーケードを抜けると近鉄四日市駅の高架が見える(G地点)。この高架をくぐる手前から今度は「天理教カーブ」と呼ばれる半径160mの大カーブを描いて北に向きを変える。

天理教カーブ
天理教カーブ2

近鉄四日市
2017.9.2撮影


 高架をくぐって右折した所(H地点)。この先左手に天理教四日市分教会がある。天理教を過ぎると高架の下を通って行く(I地点)。


天理教カーブ

高架横

高架横2
2017.9.2撮影


 三滝川橋梁の手前に西町という駅があった(J地点)。ここで現在の名古屋線に繋がる。2017年現在は川原町駅までの高架化工事が行われている。
 写真は四日市駅方面から三滝川土手を向いて撮影したもの、三滝川右岸土手から四日市駅方面を撮影したものである。
 そして新しくなった三滝川橋梁。川の向こうは川原町駅である。


西町駅跡

西町駅跡2

三滝川橋梁
2017.9.2撮影